西城秀樹さんが永眠された。

長く生きている分、沢山の有名人の悲報を聞いてきたが…ある時代、己の中で大変影響力があった方とのお別れは初めて。想像以上に衝撃で慟哭。

俺の人生のほんとに短い期間だったが、西城秀樹はいつも俺の傍に存在していた。まだ柔らかかった俺の心に沢山の宝物をくれた。


遠い記憶を辿ると


最初に西城秀樹を知ったのは≪情熱の嵐≫。ロッテ歌のアルバムか何かで「君が望むなら」「ヒデキーっ」。

この時は、西城秀樹自身より「ヒデキーっ」のコールに興味を示し、よく曲も分からぬまま「ヒデキーっ」と真似して喜んでいた。レコードは持っていたんだが、買ったのは≪薔薇の鎖≫の後。

その年のレコード大賞。

桜田淳子が最優秀新人賞を受賞したその舞台で、西城秀樹は≪ちぎれた愛≫を熱唱していた。十代・それもデビュー二年目での歌唱賞受賞。山口百恵や岩崎宏美同様、アイドルにカテゴライズされながら早くから≪歌手≫としての実力も認められていた証だろう。

この曲では「好きだ!好きだよ!好きなんだよー!」と絶叫する台詞が話題を呼び。もれなく俺もこの台詞を物真似。ただ、≪情熱の嵐≫と同じく、曲や本人でなく付属品に喜んでいた感じで。



俺が、西城秀樹及び彼の楽曲に心酔し始めたのは、欲74年発売の≪薔薇の鎖≫から。

割りと重い曲が続いた後の軽快なロック。イントロとAメロを繋ぐブラスの三連4つ。単純ながら心踊らされる「空には明るい~」のF→G→Cの進行。スタンドマイクアクション。フェロモン全開の衣装。

その全てが≪おー!カッケー♪♪≫

以後≪激しい恋≫≪傷だらけのローラ≫とシビレル曲が続き、完全な秀樹フリークスに。

この年74年もレコード大賞歌唱賞・更には歌謡大賞放送音楽賞・紅白初出場と、山口百恵と並んで当たり年。



75年には個人的西城秀樹の最高傑作≪この愛のときめき≫がリリースされ。

今でもはっきり覚えているが。

三学期のある夜、俺が学校の宿題の絵を書いていて。オフクロがその横で俺の洋服を作っていて。そんな時、西城秀樹の新曲ですと、この曲がテレビから流れ来て。

イントロの壮大さ・メロディーラインの美しさ・サビの切なさにテレビに釘付け。何より今までの秀樹っぽくない感じに驚き。すごい素敵な曲。

タイトルを聞き逃したんで、画用紙の裏面に≪さいじょうひでき・どんなふうに≫と書きとめ、翌日学校で「西城秀樹のどんなふうにって曲、知ってる?何て題名?」と聞きいて回り。≪この愛のときめき≫と分かると今度はそのタイトルをノートに書きとめ。そして親にレコードをおねだり。

この年は、レコード大賞の大賞候補ベスト10にこの≪この愛のときめき≫でノミネート。桜田淳子は大衆賞・岩崎宏美は新人賞・野口五郎は歌唱賞・山口百恵・森昌子・郷ひろみは残念ながら受賞ならず。

ちなみに74年~75年は、桜田淳子の次に西城秀樹が好きで。◼️74年…1位桜田淳子・2位西城秀樹・3位アグネスチャン◼️75年…1位桜田淳子・2位西城秀樹・3位山口百恵。こんな感じで応援していた。


76年。すっかりオッサンになった今では≪あ、鼻水たれた≫くらいの笑い事だが、子供の俺にはちょっとデカイ出来事があって。珍しく悩んだりして。

そんな時気持ちに寄り添ってくれたのが≪若き獅子たち≫。

「太陽に向かい歩いてる限り・影を踏む事はない・そう信じて生きている」

妙に響く詞で。でも本当に勇気づけられて。

で、この年は日本レコード大賞歌唱賞を≪若き獅子たち≫で受賞。同じく野口五郎も歌唱賞・郷ひろみは大衆賞・と、最初で最後の新御三家同時受賞。



77年は年明け早々に、これまたバラードの名作≪ラストシーン≫がリリースされて。この曲で改めて「西城秀樹の曲はアップテンポよりバラードの方が好きなんだ」と自分自身気づいてみたり。サビ前の≪ありがとう・幸せだったわ≫の部分には思わず涙。歌詞も少しは理解出来る様になって来たから。

ただ、西城秀樹的には苦戦の年で。≪情熱の嵐≫以来続いた連続ベスト10入りが≪ボタンを外せ≫で途切れたり。レコード大賞も大賞候補ベスト10に9位で滑り込み。ちなみに10位は桜田淳子。



78年。≪ブーツを脱いで朝食を≫でのライター使用が話題になり。真似する子供が多発して。秀樹自身がテレビで注意したりして。沢田研二と西城秀樹は話題作りでも秀逸だったよなぁと改めて思う。

ニューミュージック台頭で、アイドルには厳しい時代に突入したが、西城秀樹・野口五郎・郷ひろみ・ピンクレディー・山口百恵・桜田淳子は大健闘。

そして秋口の≪ブルースカイブルー≫。西城秀樹のバラード至上最も壮大な仕上がりで。今聴いても遜色ない素晴らしい曲だなぁと。

前年9位ノミネートだったレコード大賞。この年は金賞と名前を替えたんだが、得票数順に名前が呼ばれ。西城秀樹は見事4位で受賞。歌謡大賞も放送音楽賞受賞。



79年は正真正銘のヒデキイヤー。西城秀樹の代表曲≪YOUNG MAN≫がリリースされ。ザ・ベスト10の最高得点9999点を叩き出したのは後にも先にもこの曲だけ。

ヴイレッジピープル大活躍で、西城秀樹の他にピンクレディー・渋谷哲平もカバー。

ただ

残念ながら、この曲で俺は西城秀樹から離れる事になる。何故だか未だに理由が分からないんだが。≪YOUNG MAN≫は好きになれなかった。

この曲で西城秀樹は日本歌謡大賞受賞。レコード大賞は外国曲扱いで≪勇気があれば≫でノミネート。惜しくも≪魅せられて≫に敗れ次点。



以後は、西城秀樹だからではなく、良い曲だからで聴く様になり。更に80年代アイドルとの世代交代が俺の中でもあり。田原俊彦・近藤真彦のキャラと曲にシフトチェンジ。

80年代は、≪エンドレスサマー≫≪眠れぬ夜≫≪ジプシー≫≪聖少女≫≪抱きしめてジルバ≫辺りを。


ちなみに、男性アイドルで20枚以上シングルを買ったのは西城秀樹と近藤真彦のみ。

≪薔薇の鎖≫≪情熱の嵐≫≪激しい恋≫≪傷だらけのローラ≫≪涙と友情≫≪この愛のときめき≫≪恋の暴走≫≪至上の愛≫≪白い教会≫≪君よ抱かれて熱くなれ≫≪若き獅子たち≫≪ラストシーン≫≪ブーメランストリート≫≪セクシーロックンローラー≫≪ボタンを外せ≫≪ブーツを脱いで朝食を≫≪あなたと愛のために≫≪炎≫≪ブルースカイブルー≫≪遥かなる恋人へ≫≪エンドレスサマー≫≪眠れぬ夜≫以上。そして…



西城秀樹さん。

大病を患い後遺症と闘いながら、それでも大好きな歌に向ける情熱は消えることなく。そして有りのままの自分を見せると言う生き様。男の中の男として心の底からリスペクトしています。

沢山の宝物を、そして沢山の思い出をありがとうございました。


最後に

あなたの素敵な歌の歌詞をお別れの言葉に。どうぞ安らかにお眠り下さい。


青空よ心を伝えてよ
悲しみはあまりにも大きい
青空よ遠い人に伝えて

さよならと。
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